銀行の封筒収集  ~ライフワーク~

-中部 

-中部 

新潟中央銀行(消滅)

 1912年9月29日、相互信用合資会社が設立。1915年10月20日、相互信用無尽合資会社と改称。1936年5月24日、業務を承継して相互信用無尽㈱を設立した。
 1916年4月27日、大森無尽商行を設立、1920年8月1日、改組して(株)大森無尽商行を設立。1939年7月7日、新潟無尽㈱を合併。1940年2月10日、越後無尽㈱を合併した。
 1933年6月26日、第一共栄無尽株式会社が設立した。
 1942年10月5日、相互信用無尽㈱、㈱大森無尽商行、第一共栄無尽㈱の3社が合併し、新潟無尽㈱を開業した。
 1951年10月20日、相互銀行法により、新潟相互銀行に転換、改称した。
 1989年2月1日、合転法により新潟中央銀行に転換、改称した。発足した頃から頭取の大森龍太郎(新潟相互銀行の大森健治社長の長男)ら上層部の同族かつワンマン経営による乱脈融資が進んだ。1990年代前半から1997年にかけて、採算性を考慮せず複数のゴルフ場やオセアニア構想と言われた3つのテーマパーク(このうち富士ガリバー王国は、オウム真理教の跡地開発)をファミリー企業のように実質支配下としていた各開発会社へ多額の融資を行い開業させた。これらの他にも建設業やリゾート開発といった不動産関連業種への融資に偏重したことで不良債権が急増した。
 1999年6月11日、金融再生委員会が自己資本不足に陥ると判断し、金融庁は早期是正措置を発動した。同年9月までに約200億円の第三者割当増資を計画したが、公式に支援に名乗りを上げ主力割当先と期待された英会話教室チェーンのノヴァをはじめとする各社が先行きを懸念して引き受けを拒否、9月下旬以降預金流出が加速した。
 同年10月1日、自己資金不足から遂に銀行間内国為替業務における為替決済取引上の債務不履行が発生。金融再生法に基づく破たん処理を申請。翌10月2日、金融再生委員会は破たん処理を決定した。
 2000年12月21日までに金融整理管財人は、第四銀行・大光銀行・群馬銀行・東和銀行・八十二銀行・東日本銀行の間で営業譲渡契約を締結し、2001年5月11日までに新潟中央銀行としての営業を終了し、店舗網と預金・正常債権が分離された上で5月9日に第四銀行へ、5月14日に他の各受皿銀行へ譲渡・承継された。
531-nc-100

大光銀行

大光銀行本店:Author:Fouton

 1917年3月3日、国民無尽商会を新潟に設立。1930年2月15日、国民無尽㈱を設立し業務を承継し開業。
 1929年1月1日、北越産業無尽㈱が新潟に開業。
 1942年3月10日、㈱国民無尽商会北越産業無尽㈱が合併し、大光無尽㈱を設立。
 1951年10月20日、相互銀行法の施行に伴い相互銀行の営業免許を受け大光相互銀行に商号変更。
 1989年8月1日、普通銀行へ転換、大光銀行に商号変更。2001年5月14日、新潟中央銀行の営業を一部譲り受けた。
532-tk-230a
532-tk-225
532-tk-220
532-tk-215
532-tk-210
532-tk-205
532-tk-200
532-tk-130
532-tk-120
532-tk-115
532-tk-110
532-tk-20
532-tk-10
532-tk-7
532-tk-5
532-tk-2
532-tk-1-10
532-tk-0-10
532-tk-0

長野銀行

長野銀行本店:Author:PD













 1950年11月25日、長野県商工信用組合、設立。
 1970年4月1日、相互銀行法の施行により長野相互銀行に改称。
 1990年2月1日、金融機関の合併及び転換に関する法律に基づいて、普通銀行に転換し、第二地方銀行としての長野銀行に改称した。
533-nn-130
533-nn-125
533-nn-120
533-nn-110
533-nn-100
533-nn-40
533-nn-30
533-nn-20
533-nn-10
533-nn-8
533-nn-7
533-nn-5-10a
533-nn-5
533-nn-3
533-nn-2-10
533-nn-2-1
533-nn-1
533-nn-0

富山第一銀行

TOYAMAキラリ内1階、地階、7~10階に入る富山第一銀行本店:Author:Fouton

 1912年10月10日,氷見町(後の氷見市)に明正貯金(株)発足。1917年2月20日、明正無尽㈱に改称。同年10月15日、無尽営業免許を取得した。
 1914年12月8日、富山に共益貯金株式会社が設立。1916年8月、無尽公司共益㈱に改称した。
 1915年11月22日、富山市に中越無尽貯金(株)設立。1916年8月10日、中越無尽㈱に改称。1919年5月20日、中越興業㈱を合併した。
 1944年10月1日、金岡又左衞門により明正無尽㈱、無尽公司共益㈱、中越無尽㈱の3社合併により富山に富山合同無尽㈱を設立。1944年12月16日、日本海無尽㈱より営業権を譲受した。

富山市総曲輪2丁目にあった富山第一銀行旧本店:Author:Hirorinmasa

 1951年10月20日、相互銀行法の施行により富山相互銀行に商号変更。
 1989年2月1日、普通銀行へ転換し、富山第一銀行に商号変更。2003年3月24日、破綻した石川銀行の営業の一部を日本承継銀行より譲受。2007年3月、七尾支店と輪島支店を北國銀行に営業譲渡。2008年4月、名古屋支店を名古屋銀行に営業譲渡。
 2015年6月8日、これまで富山市総曲輪2丁目にあった本店を、西町5の富山大和百貨店跡地に建てたTОYAMAキラリ内に新築移転した。
534-td-205
534-td-200
534-td-195
534-td-190
534-td-185
534-td-180a
534-td-175
534-td-170
534-td-165
534-td-160
534-td-155
534-td-150
534-td-145
534-td-140
534-td-135
534-td-130
534-td-125
534-td-120
534-td-115
534-td-110
534-td-105
534-td-103
534-td-100
534-td-30
534-td-20
534-td-10
534-td-9
534-td-7
534-td-6
534-td-5-20
534-td-5-10
534-td-5

石川銀行(消滅)

 1922年4月18日、輪島無尽㈱が石川に設立。1941年5月30日、太平無尽㈱を合併した。
 1925年9月5日、北都無尽㈱が石川に設立。1943年5月10日、加能無尽㈱の営業を譲受した。
 1943年6月10日、輪島無尽㈱と北都無尽㈱の合併により、北陸無尽㈱として設立。1944年9月1日、北国無尽㈱を吸収合併。同年12月11日、能登無尽㈱の営業を譲受した。
 1951年10月20日、相互銀行に転換し、加州相互銀行に商号変更。1974年、東京支店を開設。もともと、石川県でのシェアが5%程度しかない脆弱な基盤であったが、金融自由化の進展で、コール市場からの資金調達が容易となり、潤沢になった資金は、基盤が弱い地元ではなく、東京等の県外に貸出先が向かった。手堅い小口案件よりも、1件あたりの融資額を増やす方針を採り、頭取のトップ営業が拍車をかけた。これら融資がことごとく不良債権化していった。
 1989年2月1日、普通銀行に転換し、石川銀行に商号変更。2000年3月に引き続き、2001年3月と4月の計3回、総額約371億円にも及ぶ巨額の第三者割当増資を実施し、預金残高の5%を超える増資を達成し、自己資本比率を引き上げた。しかし、これらの増資は、実際は融資した金額の一部が増資引受原資に回っていただけであり、実態は迂回融資による見掛増資であった。2001年12月28日、預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、金融庁の金融整理管財人による業務及び財産の管理を命ずる処分により経営破綻が確定した。
 2003年3月24日、日本承継銀行を経て北陸銀行に42店舗を営業譲渡し、残りを北國銀行、富山第一銀行、金沢信用金庫、能登信用金庫(後の、のと共栄信用金庫)に分割営業譲渡した。
535-ik-50
535-ik-10

福邦銀行

福邦銀行本店:Author:Fouton

 1919年5月7日、武生無尽㈱が福井に設立した。
 1924年12月9日、福井無尽㈱が福井に設立した。
 1925年12月21日、越前無尽㈱が福井に設立した。
 1943年11月5日、武生無尽㈱、福井無尽㈱、越前無尽㈱が合併し若越無尽㈱設立。1944年1月18日小浜無尽㈱を買収。同年9月19日、敦賀無尽㈱を買収。1949年6月14日、福井無尽㈱に改称した。
 1951年10月20日、福井相互銀行に商号変更した。
 1989年4月1日、普通銀行に転換し、福邦銀行に商号変更。1998年10月26日、京都共栄銀行の営業の一部を譲受。2002年3月18日、春江信用組合の事業譲受。2004年6月、富山第一銀行小松支店の営業の一部を譲受した。
537-fh-180
537-fh-170
537-fh-160
537-fh-150
537-fh-140
537-fh-130
537-fh-120
537-fh-110
537-fh-100
537-fh-70
537-fh-65
537-fh-60
537-fh-50
537-fh-20
537-fh-10
537-fh-8
537-fh-7
537-fh-5
537-fh-2
537-fh-0

静岡中央銀行

静岡中央銀行本店:Author:PD

 1926年11月12日、伊豆無尽㈱が静岡に設立した。
 1947年4月、太洋無尽㈱に改称した。
 1951年10月20日、相互銀行法施行により、太洋相互銀行に改称した。
 1957年9月20日、静神相互銀行と合併し、静岡相互銀行に改称。1974年6月、沼津市大手町に本店を竣工した。
 1989年8月1日、普通銀行に転換し、静岡中央銀行に改称。2003年3月3日、中部銀行が日本承継銀行へ営業譲渡、同日、日本承継銀行から営業の一部を譲受した。
538-sc-135
538-sc-130
538-sc-125
538-sc-120
538-sc-115
538-sc-110
538-sc-105
538-sc-100
538-sc-40
538-sc-35
538-sc-30a
538-sc-25
538-sc-20
538-sc-15
538-sc-10
538-sc-6-2
538-sc-6a
538-sc-4
538-sc-3
538-sc-1-10

中部銀行(消滅)

 1916年4月1日、西遠無尽㈱として浜松市に設立。1917年、浜松市紺屋町に本店社屋を移転。1946年10月、本店を静岡市(後の葵区金座町)に移転。1952年7月1日に相互銀行法の施行により中部相互銀行に商号変更、後に、帝産グループが大株主として経営に参画。1989年2月1日、普通銀行に転換し中部銀行と改称した。
 バブル期に融資を拡大し、多額の不良債権が発生。2000年に旧帝産グループが手を引きオーナー経営から離脱した。さらに、同年10月、協栄生命の破綻により48億4600万円の特別損失が発生、2001年3月、35億円の第三者割当増資により資本を増強した。2001年11月、金融庁検査の結果、2000年9月末の自己資本比率が単体で3.05%、連結で2.63%に悪化。2001年12月28日、金融庁の早期是正措置発動を受けた。2002年1月14日、信用不安を消すために国内の証券系企業に200億円程度の増資の折衝を行う経営改善計画を発表、地元紙一面に全面広告を掲載し「増資後の自己資本比率は10%以上に」とPRした。2002年3月5日、実情として増資計画は行き詰まっていたにもかかわらず基本合意に達したと広告したことから、金融庁から業務改善命令を受けた。このため、2001年から続いていた預金流出に一層拍車がかかり、預金流出は多い日で1日に10億円程度、業務改善命令の発動直後は20億円程度に跳ね上がった。結局、早期是正措置発動から2ヵ月間に預金量の1割以上の445億円が流出した。2002年3月7日、臨時株主総会を開催し増資を決議したが、信用不安は解消せず、預金流出は続き、増資引受も纏まらなかった。
 2002年3月8日、同年4月のペイオフ解禁後に信用不安が拡大するのは必至となり、預金保険法第74条第5項の規定による申出がなされ、金融庁の金融整理管財人による業務及び財産の管理を命ずる処分により経営破綻が確定した。2003年3月3日、日本承継銀行を経て、静岡県内の29支店は清水銀行、11支店は静岡中央銀行に、神奈川県と東京都の4支店は東京スター銀行に分割営業譲渡された。
539-cb-120
539-cb-110
539-cb-100
539-cb-20
539-cb-10

岐阜銀行(消滅)

岐阜銀行本店:Author:はすきぃ

 1924年5月1日、岐阜無尽㈱が岐阜に設立。1927年2月11日、幸無尽㈱が岐阜に設立。1940年4月、幸無尽㈱が濃飛無尽㈱を買収。1928年1月27日、養老無尽㈱が岐阜に設立。1931年5月14日、両福無尽㈱が岐阜に設立した。
 1942年5月1日、岐阜無尽㈱、幸無尽㈱、養老無尽㈱、両福無尽㈱の4社が合併し、岐阜合同無尽㈱となった。1948年5月、岐阜無尽㈱に商号変更。1951年10月20日、相互銀行に転換、岐阜相互銀行に商号変更した。
 1970年、十六銀行専務であった宇佐美鐵雄が社長に就任以来、十六銀行と親密関係にあったが、その露骨なまでの子会社扱いに反発し、バブル期には積極融資を展開した。しかしながら、金融激戦地である岐阜や尾張地域にあって、取引先の中小事業者の経営悪化を受け、積極経営は裏目となった。
 1989年2月1日、普通銀行に転換、岐阜銀行に商号変更した。
 1999年、東海銀行が資本引受けに名乗りを挙げ、傘下で再建を図り、2001年には公的資金の注入を受け入れた。しかし、信用不安は一向に解消せず、2002年4月のペイオフ解禁を前に、同じ中部地方に位置し、以前から経営不安が噂されていた石川銀行や中部銀行が相次いで破綻し、市場における不安感が高まった。さらに同年、経営や財務に大きな影響力を持つUFJ銀行が経営危機となった。資本及び人的結合のみならず資産にUFJホールディングス株式が多くあった同行は、信用力低下のあおりをもろに受けた。その後、旧UFJグループのもと、営業地域である中京経済圏の好況感の下、中小事業者への相談・支援型営業を核にして営業力回復に出直しを図ったが、2001年4月には120億円の公的資金の注入を受け入れることになった。また、2008年3月期の決算では単体の純利益7億円と経営健全化計画で目標とする28億円を大幅に下回ったため、同年7月25日に金融庁から業務改善命令を受けた。前身の東海銀行時代から支援を受けてきた三菱東京UFJ銀行に支援の要請を行っていたとみられるが、自助努力を求める意向に望みを断たれ、2008年夏頃より十六銀行からの資本支援を検討し、同年秋に正式要請した。2009年1月、両行は業務資本提携契約を締結。十六銀行が25億円を優先株式の形で出資した。2010年12月22日、東京三菱UFJ銀行を含めた資本支援の合意のもと、十六銀行の完全子会社となり、2012年9月18日、十六銀行へ吸収合併された。
541-gf-190
541-gf-180
541-gf-170
541-gf-160
541-gf-150
541-gf-140
541-gf-130
541-gf-120
541-gf-110
541-gf-100
541-gf-40
541-gf-30
541-gf-20
541-gf-10
541-gf-0

愛知銀行

愛知銀行本店:Author:Fouton

 1910年9月17日、日本貯蓄興業㈱設立。1916年10月23日、名古屋無尽㈱に商号変更した。
 1918年6月24日、大正無尽㈱設立。1919年3月21日、大正無尽㈱が愛知無尽㈱に改称。1927年8月31日、愛知無尽㈱が㈱愛知無尽に改称した。
 1942年2月4日、㈱愛知無尽と名古屋無尽㈱と合併し、愛知無尽㈱設立。1944年5月15日、勧業無尽㈱及び東海無尽㈱を合併し、愛知合同無尽㈱設立。1948年2月27日、中央無尽㈱に商号変更。1949年6月11日、名古屋市栄区富沢町から中区御幸本町に本店を移転した。
 1951年10月20日、相互銀行法により中央相互銀行に商号変更。1954年9月24日、中区南大津通に本店新築移転。1971年4月1日、昭和信用組合を合併。1973年4月1日、品野信用組合を合併した。
 1989年2月1日、普通銀行に転換し愛知銀行に商号変更した。
542-ac-130
542-ac-125
542-ac-120
542-ac-115
542-ac-110
542-ac-105
542-ac-100
542-ac-20
542-ac-15
542-ac-10
542-ac-9
542-ac-7
542-ac-6
542-ac-5
542-ac-1-120
542-ac-1-110
542-ac-1-100
542-ac-1-50
542-ac-1-40
542-ac-1-30
542-ac-1-20
542-ac-1-10
542-ac-0

名古屋銀行

名古屋銀行本店:Author:Fouton

 1989年2月1日、名古屋相互銀行が普通銀行へ転換し、名古屋銀行と改称。2008年4月、富山第一銀行名古屋支店の事業を譲受した。
543-ng-175
543-ng-170
543-ng-165
543-ng-163
543-ng-160
543-ng-150
543-ng-140
543-ng-130
543-ng-120
543-ng-110
543-ng-100
543-ng-60
543-ng-50
543-ng-40
543-ng-34
543-ng-32-10
543-ng-32
543-ng-30
543-ng-20
543-ng-10
543-ng-8
543-ng-7
543-ng-6
543-ng-4
543-ng-3
↑サイズ訂正 220×394×66
543-ng-1
543-ng-0

名古屋相互銀行(消滅)

 1949念2月24日、岡崎市に共和殖産㈱開業。1949年7月16日、名古屋殖産㈱に商号変更。同年12月6日、名古屋殖産無尽㈱に商号変更。
 1951年10月20日、相互銀行法の施行により名古屋相互銀行に商号変更。1963年4月、本店を中区錦に新築移転。1969年9月1日、中央信用組合を合併。1970年4月1日、豊橋市民信用組合を合併。1971年4月1日、尾北商工信用組合を合併。1972年4月1日、大野町信用組合を合併した。
 1989年2月1日、普通銀行へ転換し、名古屋銀行と改称した。
543-ns-10

中京銀行

中京銀行本店:Author:Yamauchi→Fouton

 1912年10月31日、紀北共融(資)が三重に設立。1916年、紀北無尽(資)に改称。1925年4月1日、紀北無尽(資)の財産及び無尽契約を買収し紀北無尽㈱を開業。1926年7月20日、紀勢無尽㈱に改称した。1918年2月15日、北勢無尽㈱が三重に設立。1925年1月28日、相互無尽㈱に改称。1926年7月、三重相互無尽㈱と改称。1928年2月11日、三重殖産無尽㈱が三重に開業。1941年10月1日、三重殖産無尽㈱と三重相互無尽㈱との合併により三重に八紘無尽㈱を新立した。
 1943年2月10日、八紘無尽と紀勢無尽が合併し、八紘無尽株式会社を三重県津市に設立。1945年12月、本店を三重県名張市に移転。1948年1月25日、株式会社太道無尽に商号変更。同年7月20日、名古屋市の宝無尽株式会社の営業権を譲受した。
 1951年10月20日、相互銀行法の施行により太道相互銀行に商号変更。1964年2月10日、本店を名古屋市中区門前町に移転した。1969年5月1日、名古屋信用金庫と合併し中京相互銀行に商号変更。同年11月、本店を名古屋市中区栄に新築し移転。1970年11月1日、海部信用組合と合併。1972年4月1日、名古屋商工信用組合と合併した。
 1989年2月1日、普通銀行へ転換、中京銀行に商号変更した。現在では、三菱UFJフィナンシャルグループに属している。
544-ck-160
544-ck-155
544-ck-150
544-ck-140
544-ck-130
544-ck-120
544-ck-110
544-ck-100
544-ck-30
544-ck-20
544-ck-17
544-ck-15
544-ck-10
544-ck-6
544-ck-4
544-ck-3
544-ck-0

powered by Quick Homepage Maker 4.27
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional